ネパール人の思考パターンは、お金に絡んだ考え方に偏りがちで、露骨なお金がらみの話やお金があるなしで物事を判断したり、人とお金目線で付き合ったりする傾向があります。

お金の話についてもう少し遠回しな言い方はできないのか?と考えてしまうのは、お金に余裕のある人の意見であるようです。

ネパールの暮らしでは、格差によって起こる対立的な葛藤が多く、お金がらみのトラブルも生じやすくなっています。

お金のトラブルでは、所得、教育、情報、医療、地域などの格差から、優位に立てない立場のネパール人たちは、悪知恵を使って秩序のない行動を平気ですることが多く、それがまがり通ってしまう風潮があります。また、お金に不自由でない人も、変わらず悪知恵を使って行動する習性から抜けることができていません。

通りすがりの物乞い

カトマンズの街を歩いていると路上で物乞いに会うことがよくあります。

物乞いの一日は人からお金をもらうためのアクション起こすことです。すがりつくような動作で小さな容器を通行人の前に差し出すとその容器の中に10ルピーや20ルピーが放り込まれます。通行人はそのまま素通りする人もいればお金を渡して行く人もいます。

お金を渡しても渡さなくても、通りすがりのわずかな時間の一コマで、その場を通り過ぎれば忘れてしまうような出来事です。

お金の貸し借りの常識

お金の貸し借りでトラブルになる状況は、ネパール社会の中でよくある場面です。

例えば、困っているネパール人に好意的にお金や物を貸してあげても、貸したお金や物が返ってこない場合がよくあります。好意的に貸した側の気持ちは無視され、腑に落ちない状況になります。

また、ネパール人のお金の貸し借りでは契約を交わすというプロセスを踏まない為、後になって裁判ざたになるケースも少なくありません。物事のプロセスをはしょるので、結果、もめるというのがネパール人の行動パターンとしてあります。

貧富格差のあるネパールでは、お金のある人は無い人に施して当然という既成概念があるため、人の気持ちを利用したモラルの無い行動が通ってしまう場合があります。

ヒンズー教の意味からすると、お金や物がある者は貧しい者に施すという考え方があり、お金持ちと貧しい者がそれぞれの役割分担で共存して生きて行くことがネパールの中では常識となっています。

宗教の教えに従って行動すると世間的には不利になる場合もあり、ネパール社会には複雑な常識が存在しています。

複雑なネパールの格差社会と宗教信仰によって、ネパール人の生き方には柔軟性と順応性のスキルが際立ち、これが良いも悪いもネパール人の特徴となっています。

好意的な感情は響かない

普通に生活できるレベルの人が物乞いをしたり、修行僧でもない人がそれなりの恰好をして托鉢をしたり、なりきり偽善者がネパールに多く存在しています。

また、物乞いの中にはバックボーンに富裕層が存在していて、物乞いビジネスが行われているというのはネパール国内では皆が知っている裏社会の話です。格差社会における暴力や破壊的な行為に関しては、ネパールの日常には際立って見えることはありませんが、物乞いビジネスで貧困を盾にした活動の裏には、暴力的で破壊的な惨状があります。

物乞いに対する同情的な思いは、裏社会の複雑さには効力のない無意味な感情となります。

通りすがりの物乞いがホンモノであるかどうかなんてよくわからないわけで、もし奉仕の心があるのならば無償に与えるか、または何もしない方が良いということになります。

ぼられるのは交渉力不足

値札のついていないネパールの物品を購入する場合にはその都度、値段交渉するのが通常です。ここには相場を知っていないとぼられる可能性大となるため、外国人観光客はネパール人のターゲットとなりやすくなります。

野菜の値段を20ルピ―くらい多くぼられても気にしないというのは外国人の感覚で、ネパール人の主婦は20ルピーを根気強く交渉して安く買うことにエネルギーを注ぎます。

ネパールで買い物をする場合には、値札の無い状態から売り手と買い手が交渉力を競い合って損得合戦を行っているわけです。ここにはお金に興味がない人やお金がある人の方が交渉力に欠ける場合が多く、余裕があるぶん、損得合戦で負けるということになります。

ぼりたい×ぼられる

ぼられないためには、お金の無い人の立ち位置で値段交渉をしたいところですが、ネパールの貧困家庭の内情を知ると、20ルピーの差額のために値段交渉することに意味があるのか考えるようになります。

金銭感覚の違いは、値段交渉するエネルギーに大きく影響し、20ルピーでも20万ルピーでも、ぼりたい側は、ぼられる側の余裕を見計らって作戦を投げかけてきます。

その露骨な悪知恵の効いた作戦が見えてきてしまうと、金額の大小関係なく、ぼられる側の方が良いように思えてきます。

ウソの価値

ネパール人は、数秒でバレるほどのウソや大掛かりなウソをよくつきます。ウソの内容は、相手に都合の良い話であることが多く、何とかよく見せようとする習性があります。

例えば、土地や物件の売買で、平気でウソの価値で話を持ち出して商談成立させ、後になって問題となり、もめるケースが良くあります。

ネパールには不動産業の仕組みがなく、一個人が仲介業者として動いていているため、悪徳仲介業者のウソの価値に騙されることはネパール人どうしの間でもよくあることです。

正当な値段交渉が成立せず、良い人はお金で騙されるという偏った状態で、物乞いに20ルピー渡すように簡単に数百万もぼられるわけです。

さいごに

昨今のネパールでは、海外での就労活動と海外送金による経済活動が盛んとなり、国内では持ち家や自家用車を購入し、子供たちの教育にお金を費やす余裕のある家庭が、年々増えて来ています。

ただ、金銭的に暮らしが良くなっても、格差社会がつくり上げた社会秩序を壊すような考え方はネパール人の習性として根強く残っているため、お金が無い人がある人になっても、お金にこだわる心ばかりが膨らんで、もっと違うところに価値を見出すことに乏しくなっているようです。

また、以前として残る貧困層のネパール人たちは、教育や生活環境の低さから脱却できずにいる人が大半です。貧しい人の行動には、お金を得るために宗教やお布施の考え方を悪利用するような行為があるため、ネパールの格差社会をさらに複雑なものにしています。

ネパールの日常は、様々な格差から影響してくる複雑な常識に振り回されることが多く、ネパール人は良くも悪くも順応性や柔軟性を持って対応し、格差社会の問題の本質や真実について考えるよりも、その時その時の場面に合わせて生きています。

この記事を書いた人

shyu

海外在住ライター/ネパール国籍の配偶者と日本国籍の息子と日本人の私の3人家族。カトマンズに12年暮らす。 海外に住むということは、国籍はもちろん生まれも育ちも違う者どうしが、なんらかの関係性を保ちながら生きる修行をしているようなもの。 今後、日本で暮らし働く外国人が増えて行くことが予想される中、その動向を外国人の心情に寄り添った視点で発信していきたい。

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